BTRCコーチ紹介|安里俊光「走ることは、人を元気にできる」(Episode 2)
- RunningClub BreakThrough

- 5月4日
- 読了時間: 4分
更新日:5月10日

今回ご紹介するのは、
BTRC沖縄のコーチ、
安里俊光です。
双子の兄(秀光)とともに沖縄の長距離界を切り拓き、
実業団でも走り続けてきました。
その競技人生の中で経験したことは、
ただの実績では語れないものばかりです。
以下、本人寄稿。
陸上との出会い|兄とともに歩んだスタート
中学3年間、軟式野球部で白球を追いかけるもレギュラーになれない中、
校内陸上や長距離(3km)で学年上位の成績で各大会に借り出され、
3年の時には沖縄県内3,000m3位に入り、
兄弟そろって高校で本格的に長距離に取り組むようになりました。

沖縄から全国へ
沖縄から長距離選手は育たないと言われた中、
県外の同級生に負けたくない思いで周りからは、
「こんなに練習したら潰れる」と言われるほど、
キツイ練習に取り組みました。
時には、血尿が出るほどキツイ練習をして、
高校3年に兄弟で沖縄から長距離種目で初めてインターハイへ出場し、
奇跡的に2人予選を突破して、
兄(秀光)10位 私(俊光)11位でゴールする事ができました。
又、この年には国体10000mで4位と、驚く成績を残す事ができました。

都大路への挑戦
年末には、高校長距離ランナーには夢である
都大路(全国高校駅伝大会)へ出場したいと思うも
部員が足りない。
バスケット部員に走って貰うよう頼み、
何とか全国高校駅伝へ出場することができました。

実業団|旭化成での挑戦
高校卒業後の進路は、
兄弟で旭化成へ入社。
入社後3年、成績らしい結果も出せず、
クビ(戦力外)通告の危機感から、マラソン出場を決意。
マラソンへの転向
1989年2月 別府大分毎日マラソン初出場2°18′02″17位
1989年12月 防府読売マラソン2°16′41″優勝 兄(秀光)2位
現役通算11回フルマラソン出場と、
10年間実業団の選手として走らせていただきました。

忘れられない経験
現役中、印象に残っていることは
1992年バルセロナ五輪日本代表の谷口浩美さんとの
極秘入院・リハビリトレーニング!
谷口さんは、前年の世界陸上東京大会で日本初の金メダリストとして
大きな注目を集めていました。
極秘入院とリハビリ
しかし、谷口さんは五輪に向けた準備期間中、
右足の疲労骨折が判明。
その事実を伏せたまま、
三重県の小山整形外科で私とともに1ヶ月間、
治療とトレーニングを行うことになりました。
(当時私はアキレス腱の故障中)
水中でのマラソン練習
マラソン練習は整形外科内のプールで実施。
早朝60分jog、午後120分jogやインターバル
42kmを走るランナーが、
8mのプールを何往復もする練習。
気が遠くなるような内容でした。
谷口浩美という存在
そんな環境でも谷口さんが耐えられたのは、
日本代表としての責任感だったと思います。
ある日、谷口さんから
「早く治して帰るぞ」
と声を掛けて頂きました。
いつ治るか分からない状況の中で、
五輪を控えている本人からの言葉です。
当時の私は、
自分がキツイ顔や暗い顔をしては
日本代表の邪魔になると思い、
常に平常心で治療とリハビリに取り組んでいました。
谷口さんが五輪で転倒しながらも走り続け、
8位でゴールした姿は、
その精神力の強さを象徴していると思います。
極秘入院中、
谷口さんの隣でトレーニングが出来た事は、
人生で貴重な経験です。
指導者として
実業団退部後は、
故郷沖縄に戻り指導者へ。
沖縄県男子・女子フルマラソン最高記録更新、
高校男子1500m・5000mの記録更新などに携わることができました。

現在の活動
現在はBTRC沖縄のコーチとして、
アスリートから一般ランナーまで幅広く指導しています。
実業団時代、
優勝(成功)や途中棄権(失敗)の経験が、
今の指導に生きていると思います。

これから
今後も、現役時代に経験した事を少しでも多くの人へ伝える様に努めて、
走ることを通じて沖縄を元気にして行きたいと思います。
まずは一度、体験してみてください
BTRCでは、初心者から経験者まで、
それぞれに合った形でランニングを楽しめる環境があります。



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