『お金を払ってまでフルマラソン?』と思っていた僕が北海道でサブ3.5達成するまで
- RunningClub BreakThrough

- 9月9日
- 読了時間: 4分
更新日:9月10日

「お金を払ってまでフルマラソンを走るなんて馬鹿馬鹿しい。」
数年前まで、強くそう思っていた僕が、今、北の大地・北海道マラソンのスタートラインに立っている。
──ここに至るまでの道のりを、少し振り返りたい。
走ることはもともと好きだった。
学生時代は野球部。短距離ダッシュにこだわり、長距離とは無縁だと思っていた。
初めてのフル挑戦は2022年NAHAマラソン。
「フルなんて余裕だろ」と根拠のない自信で挑んだが、ハーフ地点で力尽きた。
後日、代表から「1人だけNAHAハーフマラソンしてる人がいた」といじられたことは、今でも忘れられない。
悔しさと情けなさ、そしてなぜか残った得体の知れない楽しさ。それが僕を走り続けさせた。
BTRC沖縄との出会いが転機に
1人では続かない。そんな時に出会ったのが、街を走る黄色い集団。
思い切って代表に連絡し、即座に入会を決めた。
そこからは、18歳以降でなまった身体を鍛え直す日々。
無理が祟って膝や股関節を壊し、半年以上走れない時期もあったが、2023年秋からようやく本格的に走れるようになった。
サブ3.5への挑戦と挫折
フルマラソン完走という目標は早々に達成。
だが、それでは物足りない。どうせなら高みを目指したい。
そうして狙い始めたサブ3.5。
しかし挑戦のたびに足を攣り、失速。
小鹿のように震え、仲間に抜かれていく──。
特におきなわマラソン2025は絶望的だった。
悔しく苦しく、情けない。もういいか…と弱音も吐いた。
だが、ここで終わるのはあまりにもダサい。走るのをやめることはできなかった。
北海道マラソン挑戦記
そして迎えた北海道。初の県外マラソン。
沖縄で味わった惨敗の悔しさを胸に、僕はここに立つ。
スタート前の緊張とトラブル

大通公園を埋め尽くすランナー、ビル街に響くアナウンス。会場に向かう興奮は最高潮。
今日こそは、サブ3.5を。そう心に誓い、号砲を待った。
テーマソング、サカナクションの「アイデンティティ」が流れると、胸が高鳴り、スタートの瞬間を待つ足が震えた。
試練はすぐに訪れた。
スタート前の渋滞でトイレを断念、号砲後は大混雑。
さらに序盤で救急車がコースを横切り、30秒のレース中断。焦る気持ちを抑え、呼吸を整えた。
Y教官の登場

そんな時、12km地点。
青葉の並木道を抜ける頃、ヒーローが現れた。
そう、帰省ついでにペーサーをしてくれることになった同じチームのY教官だ。
背中を追いながら、淡々と刻む4’50のリズムに身を委ねた。
新川通りの果てしない直線。日差しを遮るものはなく、心が折れそうになる区間だが、教官の声が力をくれる。
「いけるいける!」──その一言に、また脚が動く。
終盤の試練とサブ3.5達成
いつも崩れる30km地点。だがこの日はまだ元気だった。
「35kmからペースあげる?」なんて余裕をかましたが、それは甘かった。
34km、右太ももに異変。粘走。
残るは北大構内を駆け抜け、道庁赤レンガ庁舎へ。脚はピキピキと大小さまざまな悲鳴をあげるが、落とさない、止まらない、メンタル負けんな。
「行くしかない!」──教官の声がさらに背中を押す。
結果、3時間24分52秒。
ついにサブ3.5達成。走り切れたことが最大の収穫だった。殻を一枚、破った。

ゴール後のご褒美と気づき
ゴール後、教官から渡されたSAPPOROビール。真夏の北海道、汗だくの身体に染み渡る最高の一杯。忘れられない味だった。

──あとがき

マラソンとBTRC沖縄が教えてくれたこと
マラソンは、会場に向かう興奮、レース前の緊張感、極限状態、沿道の声援、勝利の雄叫び、敗北の悔しさ、レース後の祝杯。
競技と向き合う姿勢、練習過程、自分の弱さも強さも知れる、その全部が「良き」。何度でも味わいたい。
BTRCは、競技として目標を持つ人、人として尊敬できる人、生き様が素敵な人と出会える宝石箱のようなクラブです。
僕自身も、いつかそういうカッコいい人間になれるようにと願いながら、今後も頑張りたい。
挑戦は続く。
──追記
馬鹿馬鹿しいほど、真剣に挑み続ける
「お金を払ってまでフルマラソンを走るなんて馬鹿馬鹿しい。」そう思っていた僕が、今ではその“馬鹿馬鹿しさ”にこそ、人生の豊かさを感じている。仲間と走る時間、限界に挑む自分、沿道の声援、ゴール後の一杯──どれも値札なんてつけられない。
これからも、馬鹿馬鹿しいほど、真剣に。








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